Nakaminato Reverberatory Furnace Ruin image

Nakaminato Reverberatory Furnace Ruin

Tourist attraction Historical landmark Ruin

👍👍 ペリー暗殺を主張したほどのゴリゴリの尊皇攘夷論者だった水戸藩9代藩主「徳川斉昭」ですが、口や信念だけでは国を守れないことは良く理解していました。その斉昭公が大砲を鋳造するために建設した西洋式熔鉱炉が、この那珂湊反射炉です。 当時の大砲は溶かした鉄を鋳型に流し込んで作るのですが、日常鉄器の「鉄瓶」など... People often mention reverberatory,


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  • 5/5 ヤマ田太郎 8 months ago on Google
    ペリー暗殺を主張したほどのゴリゴリの尊皇攘夷論者だった水戸藩9代藩主「徳川斉昭」ですが、口や信念だけでは国を守れないことは良く理解していました。その斉昭公が大砲を鋳造するために建設した西洋式熔鉱炉が、この那珂湊反射炉です。 当時の大砲は溶かした鉄を鋳型に流し込んで作るのですが、日常鉄器の「鉄瓶」などとは違いケタ違いに大量の鉄を一度に、水のようにドロドロになるまで高温に熱する必要があり、これは従来からの「たたら製鉄」では難しかったのです。 たたら製鉄は少量の純度の高い鉄を作るのには向いており、これが日本刀の材料となる玉鋼(たまはがね)ですが、砂鉄と木炭を交互に投入して溶かす方法なので火力を調整するのが難しく、あまり高温にも出来ません。 一方、反射炉の特徴は加熱する燃焼室と鉄を溶かす溶融室が分離している点にあります。そのため燃焼室にガンガン大量の木炭や石炭を放り込めば炉内の温度を簡単に上げることができました。その熱を凹面鏡のように加工した天井で、溶融室にある鉄材に伝える構造なので「反射炉」という名前なのです。 文章にすると簡単なように思えますが、天井の設計が悪くて熱を集約することが出来ず失敗した例や長時間高熱(1500度程度)に耐えられるレンガの作製が困難で、炉が割れたり崩れたりする事もあったようで試行錯誤の連続でした。(そう言えば、日テレ鉄腕ダッシュの企画でTOKIOが反射炉を建造しましたが、鉄が溶かせず失敗してました。) また現地では、塔のように空へ聳え立つ2本の巨大な煙突が非常に印象的ですよね。実はこれも当時の新機軸で非常に珍しいものだったのです。「えっ! それまで日本には煙突が無かったの?」と思うかもしれませんが、無かったんですよ恐ろしいことに(笑)。 幕末に江戸の街並みを眺めた外国人が、大名屋敷も庶民の長屋も煙突を備えていないことに驚いています。 いわゆる「煙突効果」ですが、排熱が煙突内で強力な上昇気流を発生させると同時に外部との気圧差ができて、勢いよく煙が吐き出され、焚き口では効率よく空気を吸い込むようになる現象のことです。 おかげで「たたら製鉄」では火力を強めるために必要だった「ふいご」等の設備が不要になりました。 当時の水戸藩の主要港であった那珂湊を見下ろす高台にあるため、黒々と煙を吐く巨大な煙突は人々の目を引き新時代を感じさせる存在だったことでしょう。後日、藩内の政争に敗れた過激尊皇攘夷派の「天狗党」がこの場所に立てこもったのも、水戸藩の象徴的意味合いがあったからかもしれません。 鎮圧にあたった穏健派の諸生党や幕府軍と、この場所で激戦になり民家や社寺が焼け反射炉の煙突も大破してしまい、以後運転を再開する事はなく役割を終えました。 したがって今ここにある反射炉は「復元」ですが、大きさや構造は忠実に再現したとの事です。表面は防水のため漆喰で塗り固められ、白く輝いています。建築当時に港から、高台にある白い連装の巨塔を見上げた人々の驚きは、いかほどのものだったのでしょうか。想像すると楽しいですね(笑)。
    12 people found this review helpful 👍

  • 4/5 ゆうじ 2 years ago on Google
    幕末、日本沿岸に船影を見せるようになった外国船に対抗できる西洋式大砲を鋳造するため、水戸藩第9代藩主徳川斉昭により築造されました。斉昭公は海防意識が特に強く、武装強化による国防の必要性を強調していました。 ここで造られた大砲は各地の台場へ据え付けられ、幕府(お台場)へも献上されたとの事
    6 people found this review helpful 👍

  • 4/5 Tamio A. 1 year ago on Google
    駐車場はあるが、車では行きにくい。那珂湊駅などから徒歩で行くことをお勧めする。小高い丘の上なので、階段を上る必要がある。手入れは行き届いている印象。 煙突はきれいに再現されているが、周囲の樹木が育ち過ぎて炉本体は少々見学しづらい。伊豆の韮山反射炉のような詳細な説明はないので、予習してから行くと良い。
    4 people found this review helpful 👍

  • 4/5 横蛸 2 years ago on Google
    2021年7月12日(月)に那珂湊の街歩きで立ち寄った。 緑豊かな公園の最も高台にほぼ原型通りに復元され、那珂湊の市街地のどこからでもその先端を見てとれる、旧那珂湊市民の象徴のような存在と感じた。 案内看板には以下のように記されている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 茨城県指定史跡 那珂湊反射炉跡 Nakaminato Cannon Foundry 幕末、那珂湊沖にも異国船が出没するようになり、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、 海防の要を唱えて領内各地に砲台を築くため、 大砲鋳造を目的として当吾妻台に建設したのが反射炉 (大型の金属溶解炉)である。 建設にあたっては、薩摩藩士竹下矩方、 三春藩士熊田宗弘、 南部藩士大島高任らの協力を得て、那珂湊の大工飛田与七や瓦職人福井仙吉が尽力した。 安政2年(1855年) に1号炉 (西)、 同4年に2号 (東炉) が完成した。 高さ約15m、 使用された耐火煉瓦は約4万枚といわれている。 元治元年(1864年) の元治甲子の乱で破壊され、 昭和12年に現在の模型が、ほぼ原型どおりに復元された。 指定日 平成16年11月25日 設置者 ひたちなか市教育委員会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さらに茨城県教育委員会のホームページには以下のように記されている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 水戸藩の反射炉は、鉄製の大砲鋳造を目的として、安政年間に2基建造されました。反射炉とは、大型の金属溶解炉のことです。当時、全国に公営・民営あわせ十数箇所建造されたといわれています。しかし、元治元年(1864)の藩内抗争(元治甲子の乱又は天狗党の乱という)の際、破壊されました。やがて昭和8年(1933)頃から復元の動きが起こり、昭和12年(1937)12月、吾妻台の跡地にほぼ原形どおりに復元されました。 水戸藩は、徳川斉昭(1800~60)が嘉永年間に至って藩政への関与を許されるようになると、兵器の充実、とりわけ従来の銅製に変えて鉄製大砲鋳造の必要性を痛感するようになり、南部藩士の大島高任(総左衛門)らを反射炉建設の技術者として採用しました。建設地としては吾妻台が選ばれました。地盤の強固なこと、水戸城下3里の近郊で経済的にも廻船業で賑わう藩内随一の繁栄地であること、原料の鉄と燃料の石炭の調達運搬に便利であること、錐入れ水車場の建造にも便宜を有することなどの条件を満たす場所と判断されたためでしょう。 安政元年(1854)8月、起工式が行われました。大工棟梁となった飛田与七(宮大工)の指揮のもと、入念な基礎工事を施すとともに、耐火煉瓦の原料となる粘土を得るため、那須郡小砂村(栃木県那珂郡那珂川町)の土がもっとも適していることを見究め、これに磐城産の燧石(ひうちいし)の粉末を一定の割合で混ぜ合わせることで烈火に耐える煉瓦の焼成に成功しました。大島らは、当初10基の炉の建造を計画したといわれますが、当面は2基の完成を目指すこととし、翌安政2年(1855)1月から建造に着手し、11月に1号炉(西炉)が完成しました。同3年(1856)鋳込みをしてモルチール砲(臼砲)を1号砲から4号砲まで造っています。完成した大砲は約束により幕府へ送られました。もっとも、1基では一度に溶解できる鉄の量はおよそ400貫であるから、2炉以上なければ大型の大砲鋳造はできません。そこで、2号炉(東炉)の建造に着手し、1号炉と同型ながら火廻りに改良を加え、同4年(1857)12月に完成させました。 しかし、先のモルチール砲は、良質の鉄が得られず強度に問題を残しました。 そこで、大島は、故郷南部の釜石(岩手県釜石市)に出張し、かの地に洋式高炉を建設、良質の「柔鉄」(鉄鉱石から精錬した銑鉄)供給に見通しをつけて同5年(1858)年1月、那珂湊へ帰り、鋳造の本格的操業を開始しました。すなわち2月からは2基の反射炉でモルチール砲3門、カノン砲1門を鋳造、さらに4月からは釜石の「柔鉄」2700貫が那珂湊に到着し、これにより3寸径カノン砲3門を鋳造できました。 こうして鋳造作業は、約4年を費やしてようやく明るい展望が開けましたが、前藩主斉昭が再度謹慎の命を受けたとの報が届き、以後操業は事実上中止のやむなきに至りました。これが再開できたのは、万延元年(1860)12月頃とみられ、元治元年(1864)2月までカノン砲数門の鋳込みが行われたものの、同年3月に起こった元治甲子の乱の影響は那珂湊にも及び、10月にはここで激戦が展開されました。このため反射炉も水車場もその戦火のなかで焼失崩壊しました。 那珂湊反射炉の完成は、前述のように安政2年(1855)ですから、年代的には佐賀藩、薩摩藩、幕府の伊豆韮山に次いで全国第4位ということになります。しかし、大島によるわが国初の洋式高炉の建設は、水戸藩の鋳造事業に直結すること、苦心のすえ高度な耐火煉瓦の開発に成功したことは、わが国近代製鉄史上およびセラミックス工業史上に重要な意義をもつものです。また、反射炉が建造された場所に、残されていた当時の煉瓦の一部を取り入れながら復元模型を建て、その敷地を保存してきた先人の功績も忘れてはなりません。これらの点において、那珂湊反射炉は、本県の史跡の一つとして、その存在意義を十分に主張しうるものです。
    3 people found this review helpful 👍

  • 5/5 山本晃司 6 months ago on Google
    幕末に造られた鉄製の(西洋式)大砲を製造するのに必要な炉の跡です。幕末の天狗党の乱で破壊され、今は復元された反射炉が建っています。天狗党は余計な事しかしないなぁ。 復元ですが立派な炉で、下から眺めると圧巻です。入口の門は江戸の水戸藩邸の門を移築したもので、堂々としており貫禄があります。
    2 people found this review helpful 👍

  • 5/5 細谷三男 2 years ago on Google
    3月3日の投稿です 初めて那珂湊反射炉跡に行き 写真を撮りました 情報では 知っていたのですが 直に見ると 大変立派なものでした となりの 門 も大変立派でした 今の時期 椿が大変綺麗でしたそして さくらも 少し咲いていました
    1 person found this review helpful 👍

  • 3/5 omochi 2 years ago on Google
    (Translated by Google) It is a restored reverberatory furnace trace. The heat-resistant brick kiln was also restored. It is said that the Yamagami Gate at the entrance was relocated, but it seems that the priests at the end of the Edo period, who appear in textbooks, also passed through here. I was surprised because it was an insanely valuable building 🧐 (Original) 復元された反射炉跡です。耐熱煉瓦の窯も復元させてました。入口の山上門は移設されたそうですが、教科書にも出てくるレベルの幕末の志士達もここを通ったそうです。何気にめちゃくちゃ貴重な建築物だったので驚きでした🧐
    1 person found this review helpful 👍

  • 4/5 ジェイソン(tarky) 1 year ago on Google
    斉昭公が大砲鋳造の為に建築した反射炉(復元)で、近くに煉瓦焼成窯の復元模型もあります。反射炉というと世界遺産に登録された韮山反射炉が有名ですが、こちらもなかなかのものですね。(^○^)
    1 person found this review helpful 👍

  • 4/5 しょうじしんや 7 months ago on Google
    まず、現在の反射炉は昭和12年に復元されたものです。 水戸藩第9代藩主の徳川斉昭公が海防の要を唱えて江戸幕府から 多額の資金を借り受けて建造することとなった。 藩には反射炉(大型の金属溶解炉)の知識を持つ人材がいなかったため、斉彬の重臣である藤田東湖と交友のあった薩摩藩の竹下清右衛門、三春藩の熊田嘉門、盛岡藩の大島高任などの協力を得て建設した。1855年に第一反射炉、1857年に第二反射炉が完成し、この反射炉で造られた大砲は約20門。 1864年に元治甲子の乱で天狗党に破壊されてしまった。 天狗党の首領格は藤田東湖の四男・藤田小四郎。父・藤田東湖が建設に尽力した反射炉を息子が破壊する結果となってしまった。
    1 person found this review helpful 👍

  • 4/5 D. Z. 3 months ago on Google New
    茨城県指定遺跡で幕末の水戸徳川家の当主斉昭公が大砲建造の為に薩摩藩や他藩の藩士の協力を得て作らせた。現物は水戸藩内の内輪もめの際に失われたので、当時の製法を忠実に再現したものが作られた。高台にあるので、見晴らしが良い。
    1 person found this review helpful 👍

  • 5/5 Amy Melissa Y. 3 years ago on Google
    It's very quiet, not big gathering of people, there is a couple benches at least 6 people can sit at, staircase has rail handle on both sides going down to parking lot. Also it's wheelchair accessible, with a steep sidewalk hill on the other side of someone's home from main side road, from there it can be climbed to get into the reverberatory. But from the parking lot it is staircase. The steep sidewalk is maybe 70yrds from the parking lot. Also anyone can have a picnic there in the grass, at least I think it's allowed. And there is one slider animal toy device for small children to play on in the bottom half of the reverberatory. Up by the reverberatory twin towers is a beautiful huge wide branched out tree overlooking the 7 to 8 slope furnaces that are there as well. I'm pretty sure though the information plaque board about the reverberatory is only written in Japanese. But otherwise it's very interesting to visit, and watch sunsets, sunrises from as well, watch the fishermen on the River, can see Piarport Kasumi, Ooarai's newest bridge being finished, and many other buildings are visible from here looking towards Ooarai city. Behind the reverberatory is Nakaminato High school, with students taking archery classes beside the reverberatory. Please come see for yourselves the tranquility of this historical place.

  • 5/5 baloch a. 3 years ago on Google
    Open 9am closed6pm. Saturday sundays and public hopefully. Off

  • 5/5 Jalan Sama Peleh O. 4 years ago on Google
    Good view at night

  • 5/5 神父尊慰安 7 years ago on Google
    A fascinating insight into Japans pre WWI history


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